「黒部の太陽」って映画を 知ってるかい?

ちょっといいっすか?

東京オリンピック・パラリンピックも無事に終わったけど、どうやら俺はテレビの前にかじりつく癖ができてしまったよ。で、たまたま深夜のN〇Kでやってた「黒部の太陽」って古い映画を見てたんだけど、これがまた面白かった!

この映画は、1956年から7年の歳月をかけて作られた黒部ダムの建設工事に携わった、関西電力と建設会社の苦闘を描いた小説を元に作られた実話の映画なんだ。黒部ダムは現在も発電をしているんだけど、どちらかと言えば今は観光地として人気スポットとなっているよな。

世紀の難工事

黒部ダムの計画は戦後日本、関西地方の復興に無くてはならないダムとして作られる事となったんだ。実は黒部ダムの計画は大正時代からあったんだけど、黒部水系の過酷な自然環境に阻まれて何度も失敗を繰り返していたんだ。

しかし、慢性的な関西圏の電力不足は当時の社会問題になっていたし、関西圏の重工業の復興にはどうしても必要だとして、当時の関西電力の社長の決断によって工事が進められる事となったんだ。黒部ダムの下流には既に小規模なダムが3つ作られていたんだけど、その上流に作られる4番目のダム(別名くろよんダム)は大規模なアーチ式のダムになったんだ。

しかし、ダムを作ろうとしている場所の周りは「日本の屋根」と言われる3000メートル級の山々が連なる場所で、人が簡単に入っていける様な場所ではなかったんだ。さらに基礎工事や資材搬入のトンネル工事を行えば、大量の地下水と土砂が噴き出してくる地層だったんだ。こんな場所での大規模工事だから、どんなに安全対策を行っていてもいつ事故が起きてもおかしくない状態だったんだぜ。

ダム完成までに工事で亡くなった方は171名。転落事故や破砕事故などで亡くなった方もいらっしゃったけど、171名のうち雪崩で亡くなった方は87名いたんだ。今なら考えられない工事環境なんだけど、全員の工事関係者が強い使命感で仕事をされていたことが感じられる。昔の人は本当に大変な苦労をされてきたと思うよ。

届かぬ資材と食料

日本の屋根と言われる名峰が連なる黒部で、資材と食料の運搬はダムを作る以上に大変なものだったそうだ。工事当初は馬や人力で資材を運搬し、更にはヘリコプターをも使って空から物資を運んだけど全く追いつかない。資材搬入の効率化を図るためにトンネルの掘削工事が開始されたんだけど、これまたとんでもなく大変な工事だったんだそうだ。

大型全断面掘削機を24時間フル稼働させる突貫工事で、早くトンネルを作って工期を早めようとしたんだけど、工事途中で掘削機が「破砕帯」にぶつかってしまったんだ。破砕帯というのは、地下水と細かく砕けた岩が岩盤の中で溜まっている地層のことなんだけど、そこを削り始めると大量の地下水と土砂がトンネル内に溢れだしてくる。そのたびに作業は中断したし、残念なことに死亡事故までも起きてしまったんだ。

それでもトンネル工事は続くんだ。何度も破砕帯にぶつかりながら、水温が4度の地下水と土砂を少しずつ少しずつセメントを使って固めながら掘り進めた結果、5月に始まったトンネル突貫工事は7カ月後の12月に開通したんだ。トンネルは距離にして80メートル。相当過酷な環境での難工事だったと推察できるよな。

黒部ダム完成とその後

多くの難工事や過酷な自然環境での作業を乗り越え、1963年に総貯水量2億トンの黒部ダムが完成した。総事業費は当時の金額で513億円。延べ1000万人の人員を導入して作られた黒部ダムは、関西圏に安定した電力の供給と、鉄鋼業や造船といった重工業の発展に大きく貢献することになったんだ。関西圏の繁栄には黒部ダムは欠かせなかったんだな。

今の黒部ダムは「立山黒部アルペンルート」ハイライトとして、観光や登山にも大きく貢献している。黒部ダムの観光の他にも、ちょっと前に流行った「ダムカレー」を目当てに訪れる若者も多いみたい。レトルトも売ってるみたいだから、どっかで見かけたら即ゲットだな。

当時の人たちの努力と犠牲で作られた黒部ダム。ダム本体の耐久性を見ても、あと250年はダムとして機能できるみたいだから、もの凄い技術で作られていることがよく解る。俺も一度はこんな国家プロジェクト的な現場に立ってみたいもんだぜ!セコカンならやっぱり憧れるよな!

よし!今日はここまで!

今日の晩飯はダムカレーにしようかな!近くに出してくれる店探してみようぜ。